2014年6月29日日曜日

"C'est peut-être grâce aux gâteaux que tu fais pour moi."

先週、糖尿病の主治医を訪れ、月イチの定期検診を受けた。
血液検査と尿検査(尿は自宅採取を持参)。検査業者に回して得られる詳細な結果は次回にしかわからないが、ヘモグロビンA1c(=HbA1c 〈NGSP〉%)と血糖値は即時に数値が出る。
血液採取後、少し待機。
改めて呼ばれて診察室に入る。

「下がりました。下がりましたよ!」
開口一番、弾んだ声で主治医が母を迎えた。
昨秋以降8か月の間ずっと下がらなかった数値がやっと下がったのである。
この日の測定で、8%以上が続いていたHbA1cが7%台に下がり、楽に200以上、250以上を出していた血糖値は180だった。
測定器の気まぐれか故障じゃないのか。冗談ではなく私はそう思った。精確な値だとしたら、食生活改善の効果というのはこれほどまでにゆっくりとしか目に見えてこないものなんだな。
8か月以前はどうだったのかというと、6・7・8月と少し数値が改善した時期があったのだ。なぜその時期下がっていたのかというと、これは推測だが、4〜5月の1か月の入院期間、母は病院のいわゆる病院食、しかも糖尿病食をいただいていたので、その効果が絶大だったのである。メニューだけ見ると普通の食事なのだが、味つけや調味料の使いかた、そして全体の分量がとてつもなく「控えめ」なのである。ただ母は、朝・昼・晩の食事そのものは前から量は多くないので、病院での食事に不平はいわなかった。
母の糖尿は今始まった話ではないし、娘も糖質制限をしていたので、我が家の食事はここ数年、いたって低カロリー低糖質、超ヘルシーだったので、母は家での食事とのギャップはさほど感じなかったのではないだろうか。

ただし、である。母の場合、問題は間食である。しかも、その摂りかたが凄まじかったのである。

ここ2〜3年、私も弟たちも、たまには母にもデザートを、と思って糖質オフの菓子を買ってきたり、材料を考慮して手づくりしたり、と工夫しておやつを与えてきたのだが、とにかくコテコテに甘いものを好む人なので、私たちが用意するものではもの足りなかったのであろう。頻繁にご近所の和菓子屋に出かけては、あるいは最寄りのコンビニに通っては、あんこたっぷりのまんじゅうとかカスタードとホイップのダブルシュークリームとか、そんな、日頃のヘルシー食生活を「御破算」に帰すような、おやつをお腹いっぱいに食べる習慣がいつの間にかついていたのである。そのせいで、母の血糖値検査の結果はすこぶる悪かった。

ところが、入院中は間食もなにも、3度の糖尿病食以外にはない。検査があるとその前夜や朝は食事抜きだ。母は、かなりの欠乏感を覚えていたに違いない。だが幸いにも、そんな修行のような日々を送った影響は大きかった。退院後再びジャンクデザートに溺れる毎日に戻っても、「健康」方向に振れた針はしばらくそこに留まっていてくれたのだ。退院後再開したかかりつけ医のもとでの月イチ血液検査では、入院以前のあれはなんだったんだと思うほど、良好な数値が3度ほど続いた。
しかし、そこまでだった。秋口からHbA1c、血糖値ともに上昇を示し、血糖を抑える薬を変えても増やしても、効果は出ないのであった。再び食べ始めたジャンクデザートの影響に違いなかった。
「ご飯をもう少し減らしましょうか」「おやつはやめてくださいね」
あまり言いたくないんですけどねという表情をしたドクターが悲しげに忠告する。月イチ受診の慣例になってしまっていた。



4月以降、私が勤めを辞めて家に居るようになり、母の間食も原則手づくりしている。
大豆粉やおからをメインにしたマフィンやケーキ、ヨーグルトと煮リンゴ、豆腐の生クリームを添えたそば粉のパンケーキ、といった具合である。
甘いものがなにより好きな母にはもの足りないことこの上ないはずだ。もっと甘いものを食べたい食べたい食べたいと日々念じて生きているはずだ(笑)。しかし、ようやく数値が下がったと聞いて嬉しくないはずがない。味気ないおやつに我慢してきた甲斐があったと思ったかどうか。

「あんたがいつもつくってくれるおやつのおかげやなあ」

会計を待つ間、待合室で母がぽつりといった。
そうかもしれないが、それだけではない。
しかし、母が真面目にそう思ってくれるのなら嬉しいし、糖分たっぷりの市販のお菓子なんか食べずに私のつくるものだけを食べていようと「改心」してくれるならいい。

たぶん、リハビリデイサービスに通い始めたことも要因のひとつだ。
そして、おやつよりも三度の食事の内容のほうが大きいと思う。主食から徹底的に精白したものを除いている。おまけに大根のみじん切りをご飯に加えてかさを増している。母は1/2膳程度しか食べないが、その半分は玄米、1/4はマンナンご飯、1/4は大根である。
大根を加えるようになったのは今年に入ってからだが、玄米とマンナンご飯の混合主食はもう2年続けている。ようやく功を奏してきたということかもしれない。とにかく、母の体は反応が遅い。イラつかず根気づよく継続するのみ。おやつの力で今後も血糖値を下げていこう(笑)。


2014年6月18日水曜日

"Je ne sais pas si j'étais trop fatiguée."

先月末のこと。デイサービスのスタッフから「たいへんお熱が高いのですが」と電話がかかった。

デイサービスヘ行くと、着いてすぐにまずヴァイタルチェックがある。体温、血圧、脈拍を測る。母はいつも体温が高めである。平熱が37度なんです、ということにしているが、ほんとうは平熱は36度台のはずだ。送迎されているとはいえデイサービスへ到着するまでの運動量は母にとって長距離を走ったに等しいので、有酸素運動過多によって体温も上がっていると思われるのである。
デイの連絡帳にはヴァイタルチェックが記録されていて、いつも母は37度あたりを記録されている。

だが、この日、ヴァイタルチェックで39度を超えているという。
「え? なんででしょうね。様子はどうですか」
「ご様子はお元気なんですけど……念のため2回は測りましたが、やっぱり39度を超えてまして」

デイサービスの送迎車は毎回8時50分に我が家へ到着する。毎回母は10分くらい前から上がり框に座ってスタッフが来るのを待つ。この日もいつものように準備をして、機嫌よく送迎車に乗って出かけたのだったが。
保育園と同じで、病気になったら預かってはもらえない(笑)。ほかの利用者にうつるのを防がなくてはいけないし、家族が困るのはわかっているけど置いてはおけないのである。違うのは、介護サービスは施設側が送り届けてくれることである。
「お医者さんに行かれるのでしたら、そこまでお送りしますよ」
それなら、とかかりつけ医の所在地を説明し、そこまで連れてきてもらうことにした。

まだ10時になっていなかった。母がデイへ出かける日に外出予定を寄せて集めて(笑)こなすのだが、この日の予定はすべてチャラになってしまった。参ったなあ、と思わず口をついて出た。
診療所ヘ行くと、デイの送迎車がちょうど到着したところだった。運転は朝迎えに来てくれた男性スタッフだった。
「すみません、お手間とりまして。せっかく迎えに来てもろたのに」
「いいえ、そういえば今朝はいつにもまして足許ふらついてるなあ、と思たんです」
「そうですか」
足がふらふらなのはいつものことだ。しかし、「いつも」とのほんのわずかな違いを察知できるのは、こうした第三者的な立場でありなおかつ恒常的に対象を見ている人ならでは、といっていいのだろう。同居しているから、いちばん近くにいるからすべて関知しているとは限らない。朝食の途中で何度も椅子からずり落ちそうになったなそういえば、と、「いつにもまして足許ふらついてる」というスタッフの言葉を聞いて初めて思い至ったが、ほんとうならそのときに私がなんか今日は様子がおかしいと気づくべきなんだろうし、ずり落ちそうになる母を数回にわたって支え起こしていながら体がいつもより熱いと気づくはずなんだろう。「近すぎる」と、肝腎な時に限って盲いてしまう。

糖尿病のかかりつけ医とは月イチ検診で会っている。母の病状はよくもなっていないが悪化もしていない。つまり安定しているので、血糖値検査と投薬調整だけで、実をいうとなんとなく受診の意味に疑問符を振りたくなることしばしばなんだが、つねづね診てもらっていないと、この日のように突発的な発熱とか病変とかがあった時に、やはり困るのであろう。「急に高い熱が出たんやねえ、どうしたんやろうねえ」と主治医はにこやかな表情で母に話しかけた。娘がかかっていた小児科医とおんなじだ、と思った。臨床医は優しい言葉と柔和な笑顔がつくれないと務まらない。よほど腕がいい場合を除いて、無愛想で乱暴な言葉遣いだと評判は地に落ち客(患者)の足は遠のく。この医師はそういう意味では申し分ない部類に入ると思うが、若干思い切りが悪いような気がする。躊躇しがちであったり、あるいは様子を見ようといって長期間結論を出さずにいたり、こうしよう、いややっぱりこうしようと指示や方針を変えたり……大なり小なりどんな医師にもある傾向だけど、過ぎると大事な時に判断を誤ってくれちゃいそうな嫌な予感に導かれる。

ま、それはそれとして。

主治医は「つい最近インフルエンザの患者さんもいたのでね、その可能性もあるし検査しましょう」「お年寄りは肺炎が怖いから胸のレントゲンも撮りましょう」あれも、これもと車検チェックシートを確認するみたいに急に高熱を出す原因をつぶしていった。つまり、母にはそのような予兆は見えていなかったし、月イチの検診結果はいつも穏やかであったから、急な発熱は外部因子によるはずと思ったに違いないのだった。

しかし私は、前夜からの母の様子、ここ数日の母の行動などを、記憶をたどりながら確かめていくうちに発熱の理由をつきとめた。インフルエンザに感染などするはずがない、私以外とはほとんど接触していないのだから。咳は出ていないし、呼吸もいたって健全であるから肺炎も考えられない。
発熱の原因は、母特有の気疲れと、体力の消耗だ。
5月、母にとっての大きなイベントがいくつかあった。

1)ショートステイを体験した。3泊4日。
2)リハビリデイサービスに通い始めた。
3)ご近所に慶事があったので、ある大安の日曜日、ご近所と誘い合わせてそのお宅を訪問しお祝いにした。
4)親戚内にも慶事があり、ある大安の土曜日、じぶんのきょうだいたちとその親戚を訪ね、お祝いした。

とくに(3)と(4)はたいへん非日常的なことなので、ずっとずっと以前から頻繁にその話題をもちだしてはどうしようこうしようああしようとひとりで問題提起してはひとりで議論しひとりで合点していた。5月の後半は気疲れMAXであったろう。
「たっぷり眠れば治る」と直感した。

主治医は解熱剤のほかに抗菌薬も出してくれたが、たぶん、ぐっすり寝れば熱は下がる。まあしかし、処方された薬はおとなしく全部服用しましょう。
予想どおり、その日の夕刻には母の体温は「平熱」の37度近くまで下がった。解熱剤の効果もあったと思うのだが、帰宅してすぐまず薬を飲み、少し横になりよし、という私の言葉にしたがってパジャマに着替えてベッドに横たわったとたん、ぐーぐーと眠りこけ、昼食の時間になっても起きないで眠り続けた。夕方5時を過ぎてようやく目を開いたので一度起きるように声をかけた。熱を測ると37.5度までさがっており、こしらえた卵粥をペロリとたいらげた。そのあとまた横になり、続いてごおおおおーーーといびきをかいて激しく眠りこけた。夜半に一度起きたときはさらに体温が下がっていた。このぶんだと明日はたぶん通常どおり動こうとするだろう、と私は思った。
翌朝、母はいつものとおりに起きて着替え、ダイニングまで歩き、いつもの椅子にてん、と座った。発熱でさらに体力を失ったようにも見えるが、横になっていた時間が長過ぎて、「体がおかしいなるわ」と感じ、これ以上寝るのは止めようと思ったらしい。

「疲れたんやねえ。たくさんせなあかんことあったし」
「疲れたんやろか」
「そうやで。ぎょうさん寝たら、熱下がったやん。疲労回復できたんや」
「疲れるようなことしたかいなあ」
「お出かけ、増えたし。お祝いごとで気いも遣たし」
「そんなことできつう疲れたんか……自分では全然わからへん、キツう疲れてたかどうやなんて」
「自分がしんどいのかどうかがわからんようになったら、人間おしまいやで(笑)」
「ほんまやなあ」

熱は下がったが、けっきょくこの週はデイサービスをすべて休んだ。加えて、やはり多少動きが鈍くなって諸動作が危なっかしい。そんなわけでほぼつきっきりでそばにいなくてはならなかった。特別に用事が増えたわけではなかったが、自由に動き回れなかったのは少々(かなり)キツかった。私も疲労を溜め込んで、週の終わりには相当バテていた(笑)。いまから対策練らないと、ヤバいな。