2014年12月29日月曜日

L'état sérieux? (2)

前のエントリーは10月14日火曜日だ。もう2か月半が経ってしまったのか……ここ数日ようやく母も私も現状に慣れて落ち着いてきた気分だ。それにしても、10月10日金曜日に発熱して寝込んで以来、状況は一変したのだった。10月14日に書ききれなかった、母に起きた異変は、15日、16日と悪化の一途をたどった。



10月10日金曜日。デイサービスから帰宅した母は、とにかくすぐにベッドに入ってぐっすり眠った。7〜8時間経った夜の11時頃に一度そっと声をかけてみた。白粥をこしらえたので食べさせようと思った。体温も測りたかった。あまりよく眠っているようだったら無理に起こすのはやめようと思っていたが、意外にすっと目を覚ました。

「ぐっすり寝てたなあ。少し起きられる? お熱測ろか。ほんでご飯少し食べたほうがいいし」
「ん、食べる食べる」
体温を測ると37度台に下がっていた。少し楽になったようだった。おかゆを飯碗一膳分しっかりたいらげて、美味しかったを連発した。私は少し安心した。
このあと母は翌朝までぐっすり眠った。



10月11日土曜日。糖尿病を診てくれているかかりつけ医を受診。この日の朝、体温は37度ちょうどまで下がった。37度前後なら、母の場合あまり心配ない。母自身も安心したのか、朝食を(おかゆだが)しっかり食べ、外出の身支度をした。
主治医は肺炎の恐れがないか、またインフルエンザの検査もしてくれたが、母の体に変わった様子はなく、血糖値も高くはなく、HbA1cとやらも7台で安定値であった。
「疲れがたまって熱出したねえ、前も」
「先生、わたし、家でじっとしてるだけやのに。疲れるようなことしてしまへんのに」
私が横から口をはさみ、しばらく家を工事していて大工の出入りがあったことを説明した。
「通常と違うことがあると、精神的に緊張するしね。そういうことで疲れるんやで」
「そうでっしゃろか」
けっきょく、主治医の見立てでは、今回も発熱についてはさほど心配ないから家で安静にしてなさいということだった。
帰宅して、昼食。気をよくしていた母は、もうおかゆは嫌だという。それでいつものような昼食を準備し、一緒に食べ始めた。
しかし、やはりいつものようには食べ進まない。
「無理に食べんでもええよ。残してもいいし。おかゆに換えよか?」
「食べる食べる。これ、食べる」
だが、皿や飯碗を持っていることができない。母は背中が横にも曲がっているのでまっすぐに座れないのだが、いつもなら傾く身体を自らの力で背もたれに押し当てて座姿勢をキープするところ、やはり体力が落ちているせいかキープできない。椅子からずり落ちそうになるのを何度も押し戻してやる。戻しても戻しても傾くので、押し戻したまま支える。少し落ち着いたか。「大丈夫?」「大丈夫、大丈夫。おおきに」支えていた手を離してお茶を入れるために私は台所に立った。とその瞬間、ドタッ。皿と箸を持ったまま母が椅子から落ちた。ひっくり返った皿から、まだ半分ほどのこっていたおかずが散乱した。
「ああ、ごめん」
「ごめん、はいいけど、その体勢からどうすんのよ」
母の体は椅子から落ちたが、上体だけが右側へ落ちて、左足が椅子に残っているのだ。落ちた場所で、右ひじを床についている。ギャグ漫画の、人物がずっこけるシーンのような、コミカルなポーズだ。しかし笑うに笑えない。ふつうの健康体なら、椅子の上の足も床におろして膝を立ててよいしょと立ち上がればいいだけの話だが、母はその体勢からぴくりとも動くことができない。
床の掃除をしながら、どうしてあげればいいのと私は尋ねた。前日の朝、どうやっても母を起こすことができなかった。今回も無理だ。前日の朝の重労働が響いて、腱鞘炎持ちの私の両腕は痛みで熱くなっていた。非情に聞こえるかもしれないが、いたずらに手を貸して自分の体を壊したくはなかった。
「自分で起き上がってくれんと、困るよ。椅子につかまる? 手押し車のほうがいい?」
母の手押し車を寄せてきて、椅子の上に乗ったままの母の足を「これ、下ろしたほうがいいよね」と言いながら下ろした。母は右膝を曲げることができないが、伸びたままの右膝をリードするほど左足にも力がない。椅子につかまり、冷蔵庫にもたれながら、上体を起こし床に座る姿勢までこぎつけた。もちろん、腰を上げることはできない。椅子にすがってもみるし、手押し車を固定してつかまってみるが、とにかく身体が重すぎる。
ある程度まで上がれば、私の体に母が体を預けるかたちにできるので、そうするとよいしょと全体を持ち上げられる。しかしまったくの地べたから上げるのは負荷が重すぎる、私にとって。食器をすべて流しに移し、食卓を拭きあげて、私は溜め息をついた。ダイニングチェアが2脚、母を包囲するように配置され、そこに割り込むように愛用の手押し車がスタンバイしていた。なのに母は動けない。私が食器を洗っているあいだ、母は疲れきって冷蔵庫にもたれたままだった。また熱が上がるんじゃないかな……。

少し休んでまた力が湧いてきたのか、再び母は椅子にしがみつこうともがき、なんとか左膝を立てるところまでたどり着いた。「そのまま思い切り前に傾いて。前のめりになってみて、椅子にかぶさるように」私の言葉にしたがった母の、お尻の位置が少し上がった。
そこでようやく腰を上げることができ、私の手助けできる段階が訪れた。立てた左膝を維持するため、力なくへにゃっとすぐ伸びてしまう左足を固定する。なんとか上がった腰。それにくっついた棒のような右の脚を、足が床を踏めるところまで誘導する。それにともない左の膝も伸びて、ようやく両足を地に着けて立てた。
母の表情は困憊していた。もうへとへと。それは私もだったけれど。
「休んだほうがいいと思うよ。ベッドに横になり」
「そやなあ」
「明日、運動会やし」
「うん、観に行きたいしなあ」
そう、翌日の10月12日土曜日は、地域の学区体育祭なのだ。私もいくつかの種目に出場することになっていたので、母は観戦を楽しみにしていた。会場の模擬店で、うどんやお菓子を食べるのも大きな楽しみのひとつだった。
ようやく寝室へたどり着く。着替える。布団に入る。それから間もなくして大きないびきをかき始めた。
発熱は体力を奪うが、高齢者の場合はそれが甚だしい。転倒して起き上がるだけでも、体の不自由な高齢者にとっては非日常的な一大イベントというか一大重労働だ。母の場合、これまで幾度となく転倒を繰り返しており、自分でも起き上がるコツを心得てはきたが、実際衰えのスピードが激しく、こうすればコケても起きられるはず、という母なりの方法が母にも理解できないまま、もう使えなくなっている。

窓の外が暗くなった頃、母の様子を見に寝室を覗く。ごーごーいびきをかいている。体に触ると異常に熱かった。やば。再び熱が高くなっているようだ。明日出かけるなんてもってのほかやわ……つーか、ばあちゃん置いて私運動会行けるやろか……とひとりモゴモゴつぶやきながら、母のいびきを聞いていた。
夜中、もう一度覗くと母が目を開いた。
「熱が高くなってるみたいやで」
「そうか? かなんわあ」
「ちょっと測らせて」
39度を超えていた。よく寝てね。それだけ言って私は母の寝室をあとにした。日・月と連休が恨めしかった。まったくどこかのバカどもたちが決めたハッピーマンデーなんぞ、何もいいことはもたらさない。心の中で舌打ちをしつつ、でもなんのかの言っても私は明日走らなくちゃならないしなあと憂鬱な気持ちで、私も床についた。

 


0 件のコメント:

コメントを投稿