2014年7月6日日曜日

Les frères, les sœurs, les enfants

「占出さんが山一番やて。ほな、ことしはみなお産が軽うなるわ」
夕刊の一面を見て母がつぶやいた。

祇園祭の神事が7月1日から始まっている。
2日には巡行順を決めるくじ取り式があり、「占出山」(うらでやま)が山一番を引いた。
安産祈願の神を祀っているとして、古来高貴な身分の女性たちの信仰を集めたとして人気の山である。氏子の与るご利益は多々あれど、母の言うように、その年に一番を引いた山からはとりわけ恩恵をたくさん受けるのである。だから、妊婦さんはみな「ことしはなんにも心配いらへんわ」(母)。
だといいけどな。

今朝も住宅火災で幼児が焼け死ぬというニュースがあったが、高齢者人口が増えるというニュースのいっぽう、小さな命が不条理なかたちで奪われる例があとを断たない。書店や図書館に行くと、「イケてるイクメン」「愛のパパ料理」といった、近頃とみに家事育児参加の著しい男子たちを取材した雑誌や、あるいは男子自身によるハウツー本、料理本などがずらりと並ぶ。最近はお弁当本が人気のようだ。もう何年も前から、家族で連れだって歩いている時に子どもをだっこしたりベビーカーを押したりする男の姿は、妻と並んで歩くという形でならあったが、最近よく目にするのは父親だけが子連れで歩いているというパターンだ。幼い子を胸に抱いてその子とだけの会話の世界にとっぷり浸かっている父。ひとりを片腕に抱き、もうひとりの手をつなぎ、歌を口ずさみながら散歩する父。ダブルサイズのベビーカーに双児の赤ん坊を乗せ、そばをちょろちょろする上の子をたしなめながら歩く父。そんな父子の様子を見かけることも珍しくなくなった。
こんなに夫が家事や育児を積極的にしてくれるのなら、妻は存分にキャリアを描くことができ、不安なく第一子に続いて第二子、第三子と産もうという気に……なるというほど、世の中は単純で生易しくはない。ある家庭では実現可能なことが、別の家庭ではとうてい不可能であったり、夫婦で役割を分担して相互の負担を軽減する努力をしていたとしても、肝腎の妊娠にたどりつかない、あるいは、予算が立たなくて諦める。ただ、欲しくても子どもを持てない夫婦は昔からいたが、そもそも子どもを欲しくない、という夫婦または単身者が増えているという。

デイサービスで知り合う高齢者仲間とはついつい身の上話や若い頃の話になるという。母は「若手」なので「アンタ、うちの末の妹と同い年やわあ」と90代の「おねえさま」からいわれたりするらしい。母の世代あたりは少なくとも兄弟姉妹が5人以上いた。母は8人(内2人は早世)兄弟姉妹の末っ子だ。嫁入り支度をしてくれたのは十以上も年の離れた兄嫁たちだったと言って笑う。

私と弟の間に、ほんとうはもうひとり、母は身ごもったそうだ。流れてしまったが、母は今でも彼岸の墓参のたびに、水子供養を忘れない。しかし、流れた赤子のことじたいを口にすることはあまりなかった。同様の経験をもつ女性がデイ仲間にいたのだろうか。子どもの話をするうちに水子のことまで及んだのだろうか。いつだったかデイから帰宅して、昔流れた赤子のことばかりをつぶやき続けた日があった。
「かわいそうなことした」
「生まれてたらどんな子になってたやろ」

高慢で傲慢で偏見の強い姉と、理屈っぽく説教臭くこれまた偏見の強い弟に挟まれて、きっとストレス耐性の高い図太い人間に育ったのではないか。
いや、しかし、生まれてこなくて正解だったかも(笑)

「生まれとうても生まれてこれへん子もいるのに」
悲しいニュースを見聞きするたび母が溜め息をつく。母はわりと世間に無関心で、やいのやいのとみなが大騒ぎしているネタもほぼ知らない。小さな事件などは新聞記事を追っているはずなのにほとんど頭に入っていない。今うちにはラジオしかないが、テレビがあった頃からそんな調子だった。しかし、いま、同じような時代を生きてきたご婦人たちとの会話を通じて昔の記憶が掘り起こされている。自分の経験とリンクするような事件や話題には、いつまでもいつまでも、もつれてほどけない糸をもてあそぶようにして、食いついている。

占出さんのご利益が、すべてのプレママさんに行き渡るといいな。
そして、子どもをもちたい人がためらいなくもつことができ、子どもをもたないひとも後ろめたさなど感じないですむように、山鉾の神さんによう拝まんとあかんね。