2014年10月14日火曜日

L'état sérieux? (1)

週末、母が発熱した。
金曜日はデイサービスセンターにいたが、来所時に熱が高めであったということで入浴はやめ、午後再度検温すると38.5度だったという。
帰宅した母はほとんど歩行ができなかった。

その日は朝から異変続きだった。早朝まだ暗いうちに、トイレに行こうとしてベッドから立ち上がりそこね、転倒したらしい。私が起きて階下へ降りるとベッドの脇で情けない顔をして座っていた。母は床へぺたっと腰が着いてしまうともう自力では起き上がれないし、座る姿勢にもなれない。ここでの場合はベッドにもたれて座姿勢を保っていたにすぎない。だいぶ長いことそうしていたようである。
猫が来てさかんににゃーにゃーと声をかけてくれたらしい(笑)。猫は猫なりに心配して、階下の異変を私に知らせてくれたのだろうか。この日の朝、私は猫があまりに耳元でにゃーにゃーいうので5時に目が覚めてしまった。餌をねだって朝からうるさいのはいつものことだからたいして気にも留めずゆっくり起床したのだった。
ところが、母が床で固まっている。

こういうとき、私はまるで役に立てない。腰痛と背痛、両手首痛があるせいで、45キロの母を抱え上げたり支えたりできないのである。昨冬、検査に訪れた病院の待合室で、椅子から立ち上がりそこねた母を咄嗟に支えて腰にドカーンときた。私の腰痛歴は高校1年生のときからなのでもうほぼ35年のベテランであり、腰に負担のかからないような動作で日々生きておるゆえ、ふだんはなにごともないように振る舞っているのだが、突発的な事象に遭遇したり姿勢を変えずにいることを長時間強いられたりすると激痛に見舞われ、とたんにアカンタレな体になってしまう。と言うと、そうした事態は稀なことなのだなと思われるかもしれないが実は毎日そうなのである。「姿勢を変えずに長時間」には就寝も含まれる。だから毎朝激痛と闘いながら起床するのだ。
そのようにとってもカワイソーな私の毎朝は、ゆっくりと少しずつ体を端から順に動かしながら体内の巡りを潤滑にしながらアイタタアイタタアイタタと呪文のようにぶつぶつつぶやきながら、始まる。
やっとふつうに動けるようになると起床、階下へ降り、洗濯と食事の仕度をはじめる。私は私で一日痛みなく無事に過ごすために用心に用心を重ねて慎重に寝起きしているありさまだというのに。
なのに、母が床で固まっている。

「どうしたん? 落ちたん?」
「なんや、知らんにゃけど、うまいこと立てへんかった」

母の左足が転倒のはずみなのか、お尻の下に敷かれていた。まずその左足を前へ出す。
「いたた」
左足は悪くないほうの足なので、大事に健康を保たなければならない。もしかしたら怪我したのでは、と思ったが、どうやら左足は無事のようだ。しかしこのままでは起きられないし、起こせない。なんとか自力で中腰くらいまでは上がってもらわないと、支えたくても重すぎる。
「トイレ行きたい」
状況を理解しているんだかいないんだか、希望だけははっきりおっしゃるのである。
ベッド下にはマットを敷いてある。キッチンマットみたいなやつだ。ちょうどそのうえで動けなくなっているので、マットの裏の滑り止めを引きはがし、母をマットに乗せた状態でマットごと引きずり、壁際へ寄せ、トイレ近くまで移動(トイレは寝室内にあるのだ)。壁には手すりがある。なんとかつかまり立ちができるように、手すりをつかませてみる。もう一方の手は歩行器のハンドルをもたせてみる。よいしょと立ち上がれないだろうか。
……全然ダメ。
母は両腕ともけっこう力があり、握力もしっかりある。両脚のへにょへにょ具合とは雲泥の差。しかし、母も自分の腕の力だけで体を持ち上げなくてはならない事態になるなんて想像していなかったであろう。
以前は、四つん這いの姿勢から何かにつかまることで起き上がることができた。しかし今は、その四つん這いの姿勢になるためのハードルはとてつもなく高い。手をいったん手すりから離して床につき、膝を立て腰を上げてみようとしたが、ダメ。大きく曲がった背骨のせいで体が傾き、傾くに任せて倒れてしまう。もう一度起こしてとにかくどこかをつかませ、わずかに浮いた脇に床に這いつくばった私が頭から突っ込んで全身の力で持ち上げてみる。重い。これで上体を起こせたが、今度は足を立たせなくてはならないが、上体を起こした姿勢を維持できないので、腿を上げ、膝を出し、足の裏で床を踏ん張る段階までいかないうちに倒れてしまう。そしてやり直し。パワーのない母も疲れるだろうが、私もへとへと。

そんな状態であっという間に7時になった。朝食の時間だ。用意はしたのだが、母が動けないままだ。途方に暮れていると、
「おはようございまーす」
大工さんが来た! 救世主!
我が家は今部分的に工事中。7時過ぎから5時過ぎまで大工さんが作業をしに来る。この日は、大工仕事の部分が終了する予定日だ。はりきって仕事に取りかかろうとする大工さんに「あのーすみませんがちょっと手伝ってもらえます?」

床で動けなくなっている母を、大工さんはせーの、はいっと起こしてくれた。ああやはり殿方の馬力は桁違い。感謝。
なんとか立つことのできた母だが、歩行器につかまっても、歩けない。しかし歩く以外には移動方法がない。2、3センチずつ、歩くというより足を交互に前へ出す。手すりにへばりつきながらようやくトイレへ。
トイレから立ち上がるのにも時間を要し、トイレから出て再びベッドサイドへ戻って着替えるのも、いつもの倍以上の時間がかかった。転倒から起き上がるまでの間にエネルギーをすべて費やしてしまったかのように、母の動きは前日までと打って変わって鈍かった。
ようやく食卓に着いたら、8時を過ぎていた。

デイサービスに電話をし、送迎時間を少し遅らせてもらうように頼んだ。

週に2回、9時前に出て3時頃帰る母の通所に合わせて、私は外出のスケジュールを立てている。この日も10時から2時半まで3件のアポを詰めて入れていた。だが母の仕度が進まない。9時45分、ようやくデイの車に乗せることができた。私はアポ先に電話をし、約束の時間に遅れることを告げた。まったく大わらわの朝だったが、デイヘ行ってくれれば職員さんたちの目があるのでひと安心である。

と、思っていたのだが、甘かった。
3件めのアポを終え、帰路に着こうとすると電話が鳴った。デイサービスセンターの主任さんだった。熱がありますがお宅までお送りしますか、それともお医者さんに直行もできますが、という内容だった。かかりつけ医は診察時間外だ。自宅までひとまず送り届けてくれと答える。
帰宅して待っているとほどなくデイの車が到着。主任さんが付き添って家の中まで入り、ダイニングの椅子に座らせてくれた。
「来所時もお熱があって、そのあとどんどん高くなって」
「すみませんでした。朝、何度も体を抱えたけど、熱っぽさはなかったので……。食事はしましたか?」
「主食は半分くらい、おかずは7割、8割くらい食べはりました」
「そうですか」
「お元気がないので……横になりましょうかと声をかけても絶対嫌やと言わはりまして」
毎回、体操やゲーム、クイズ遊びなどレクレーションがあるのだが、何にも参加せずソファに座ってぼーっとしていたそうだ。

少し落ち着いてから検温すると38.7度。
以前外科でもらった頓服薬をとりあえず飲ませることにする。
「寝なあかんよ」
「そうか、しゃあないな」
寝室まで長い道のりを少しずつ進む。
トイレまで長い道のりを少しずつ進む。
ベッドに座り、着替えるのが大仕事。
着替えて、ベッドに横たわるのも大仕事。

3時40分。母はすぐ眠った。派手ないびきが聞こえる。

2014年10月8日水曜日

"Je ne comprends pas pourquoi je suis blessé la tête."

ある水曜日の朝。
母はいつもの水曜日と同じようにリハビリデイサービスヘ行くため身支度をしていた。夏の間はTシャツとズボンという軽い服装そのままで出かけられたが、朝夕少し涼しくなってきていたので、一枚羽織りものを取り出して、歩行器にかばんと一緒に乗せてダイニングまで歩いてきた。その姿は、台所の流しで食器洗いをしていた私の視界の隅っこに入っていた。

次の瞬間、ギギッと車輪と床が擦れる音(歩行器をブレーキをかけたまま引きずった時の音)がして、振り向いたら母の体が今まさに床に倒れようとしていたところだった。わああああ、危ない!

ドッタアアアアアアッッッ……

ものすごい音がした。母はよく転倒するが、これまでになくパンチの効いた音だった。腰の骨が折れたぞ。私は咄嗟にそう思った。母の体はお尻から床に落ち、落ちた勢いで体は仰向けに寝そべるような恰好になった。自力で起き上がろうともがく母に近寄り、怪我してるかもしれんから無理に動いたらアカン、と言い終わらないうちに私はええっ何これなになにどうしたのっと叫んでいた。
「なんえ? なんかあんの?」
母はきょとんとして私の顔を見ている。
「ばあちゃん、頭から血が出てきたよ、今、頭打った? そうは見えへんかったけど」
「打ってへん」
手を伸ばしてティッシュを数枚引き出し、前頭部を押さえた。どうしたんどうしたんと娘が駆け寄る。「すごい音、したなあ。トイレまで聞こえてたで。うわ、やばいこの血、さっきの音、頭?」
「いや、頭は打ったはらへんと思う。なんでかわからへん、どこかに当たったんやろけど……とにかく電話するし、ちょっと支えてて」
私は救急車を呼び、リハビリデイサービスに欠席の電話をした。ほどなく救急車が到着し、隊員のみなさんがてきぱきと処置をし、搬送先を手配してくれた。

「えーと、このかたお名前は。おいくつですか。ここにおひとりでお住まいですかね、あなたヘルパーさん?」
「へ、ヘルパー? さっき母が転倒して怪我をしたと電話でいいましたけど」
「え? あ、そう、娘さんですか。ご家族と住まわれてるんですか、ああそうですか」

失礼なやつだ、と思いながら、隊員のセリフからは独居老人の多さが窺えるいっぽう、ちゃんと家族と一緒に住んでるお年寄りがなんで家の中でコケるんだよ、みたいな非難めいた色を感じ、それに反論できない自分を発見したりする。

勤めを辞めて家に居ることにしたのは、母から目を離さないためである。しかし、だからといって1秒も目をそらさず見続けることなんてできない。私は今すべての家事をしている。台所は対面式ではないので炊事や洗い物をしているときは母に背を向ける。洗濯機も裏にあるし、物干しは屋上だ。母は1階で、私は2階で就寝する。
そうした、母から目を離すわずかな時間の間に母は転倒したり椅子からずり落ちたりベッドから転落したりする。以前は杖を持ち、今は歩行器にすがって歩いている。母の部屋にもトイレにも浴室にも手すりがある。それなのに、その杖や歩行器のハンドルや手すりを掴み損ねて転倒されては、これ以上打つ手がないではないか。

この日の朝の転倒は、立ったまま上着を羽織ろうとしたことが原因だった。
立ったまま服を着る。つまり、服を持ち、袖を通すという動作は、どこか手すりを掴んでいたり、歩行器のハンドルを持ちながら、ではできない。両手がフリーになる必要がある。すなわち、二本足で「自立」していなければならない。
母は、二本足で自立できない。
何度も痛い目をして、じゅうぶんわかっているはずなのに、いまなお母はつい両手を離したり、手すりやハンドルを握り損ねて「フリーハンド」状態になっては転倒する。
なぜ、何も掴まずに立っていようなどと思うのか、不思議でならないが、「かつてできていたはずのことができなくなってしまう」ことを自覚する難しさは、おそらく私たち「若造」の想像の域を超えているのだろう。母は明らかに、戸惑っている。自分の活動領域が急速に狭まり、日に日に自由の利かなくなる体に退化していることに。その老化、あるいは病気の進行の速度に、理解が追いつかないのだ。

Mちゃんの可愛い赤ちゃんを見て、漬物屋のおかみさんとしばし談笑して、ちょっぴり活力のおすそ分けをしてもらったせいか、元気な振る舞いを見せてくれるのはいいのだが、調子に乗って「以前のように」動くと思わぬ落とし穴に落ちてしまう。今回はその悪しき一例と言っていい。それでなくても、リハビリデイサービスの日の朝は毎回どことなく「今日もはりきって行きましょう!」的な、母なりにハイテンション気味なのが感じられるし。
というふうに、いくつかの「活力アップ要素」が働いて無謀にも両手を離して二本足で立つという行動に出て、転んじゃったわけである。

「なんで頭を怪我したんやろ。お尻はキツう打ったけど、頭は全然打ってへん。何で頭から血が出たんやろ」
母はいつまでもつぶやいていた。同感。今回の怪我は謎だ。我が家のどこかにミステリーゾーンがあるのか、どこかにちっちゃい小悪魔さんが棲んでいるのか。

幸い怪我は大事に至らなかったが、一瞬大騒ぎをした。
救急車などが我が家の前に停まったので、お向かい、お隣をはじめ町内会の面々が取り囲んで騒然としていた。みなさん、お騒がせしてすみません。