2015年1月11日日曜日

Je suis Charlie!

「えらいことになってるなあ、フランス。ぎょうさん死んだはるやん。気の毒に」
新聞を見ながら母が言った。
「……うん。そやなあ……」
返す言葉が見つからず、相槌打つくらいしか、できなかった私。

母が新聞の記事について自ら話すことは、とても珍しい。
載っているいろいろなことは現在進行形で世の中に起こっていることなのだが、年をとるにしたがって、関心の幅が狭くなっているのがとてもよくわかる。話題に乏しくなること甚だしい。こちらから、騒がれている事件などを話題にすると、記事を読んだ覚えのある件については話に乗ってくる。でも、記憶に引っかかっていなければ、どんな大事件であっても「ふうん」「ほんま」「へえ、そうなんか」みたいな返事が関の山である。
だから、シャルリエブド社襲撃テロについて自分のほうから「えらいこっちゃな」と言ったことは、母の言を耳にした私にとっても大きな出来事だった。
新聞にフランスの文字が大きく掲載されることはとても少ない。国際面に小さく載ることはあるが、母はまったく目を通さない。たとえば京都にフランスの要人が訪問中だったり芸術家が滞在中だったりすると、文化面や社会面に載ることがある。そういう記事には目は通しているだろうけれど、あまり関心もないので記憶に残らない。「日仏の架け橋」とか使い古された枕詞がついていてもピンときてないに違いない。暮れにとある映画祭に行ってきたのだが、出かける前に、「フランスの映画監督も来たはるねん」と言っておいたんだが、翌朝の新聞に、映画祭でのパトリス・ルコント監督トークショーの様子が掲載されているのに全然反応しなかった(笑)。ま、仕方ないとは思っていたけど。
今回のテロは、地方紙であっても大きく扱わないでどうする、というほどの大事件だから、何面にもわたってでかでかと、連日掲載されている。
母にとっては、フランスはとても遠い国だけれども自分の娘が会社勤めをして貯めた貯金をはたいて留学した国であり、帰国後は友達と称するさまざまな不思議な容貌をした男女が入れ替わり立ち替わり家に出入りするようになるが彼らと娘の話すのがそのフランスという国の言葉である、という理由で、どの諸外国に比べてもいちばん近しい国なのだ。だからさすがにこれほどでかでかと載ると、「あんた、フランスえらいことになってるやん」と言わずにはおれなかったのだ。

ただ、私は1月8日の真夜中、すなわちフランス時間の夕方だが、流れてくるフランスメディアのツイートによって、とんでもないことが起こったことは知っていた。各社の短いツイートにはいずれも「CharlieHebdo」の文字があり、「12人」「殺された」と記されていた。よくわからないまま、慌てた。何? 何が起きている? 凄まじいスピードでツイートが流れてくる。やがて射殺された編集長や風刺画家たちの名前や写真つきでツイートされる。やがて現場の写真も載る。各社自社サイトにリンクを張り、その時点でわかっていることを次々に記事にしている。残念ながら私の理解力は追いつけない。とにかく銃撃事件があったみたいだ。パリ在住の日本人のツイートも流れてくる。いくつかの記事を経てやっと、「あの」風刺のきつい週刊紙「CharlieHebdo」のスタッフがほぼ皆殺しにされたことがわかった。
翌朝の新聞記事は、一面に載っていたが、小さかった。夕刊になってようやく詳細が載った。さらに次の日、9日になって扱いがぐっと大きくなる。
冒頭の母のつぶやきは、昨日、つまり10日の朝だった。ようやくただならぬ事態だということに、母も気づいてくれたのだ。ありがとう。

ウエブのほうは当然ずっと早いので、8日早朝にはポータルサイトに第一報が載っていた。しかしその頃には、夜中になったパリでは「Je suis Charlie!」「Nous sommes Charlie!」の合い言葉を誰もが口々に叫んでいた。フランスのメディアはいずれも自社ロゴアイコンに喪章をつけてツイートを流していた。夜が明けると公施設は半旗を掲げ、あちこちのモニュメンタルな建物には「Paris est Charlie」の横断幕や、プロジェクションマッピングが施されていた。

そんなわけで、母がフランスの大事件に言及してくれたとき、私はすでに大きな悲しみと怒りに体が震えこみ上げる悔し涙を抑えられない、そのいっぽうで事件の概要はなんとか詳しく把握した、という大きな峠を越えたところだったので、彼女の言葉にむしろ拍子抜けしたのであった。ごめんよ。

ただその時点では、パリの友人たちからメールの返事が来ていなかったこともあって、心の奥に気がかりを残したままで、気分は晴れていなかった。だから、まさに、たしかに「えらいことになっている」から心配でしょうがなかったのだが。
(その後返事が来て、ひとまず安堵)
母に、このテロの背景、原因、目的、結果の検証まで説明するのはたぶんとても骨が折れる。そのわりにたぶんひとつも理解してもらえない。だから、相槌打つしかなかった。
そやなあ。ほんまに、えらいことになってる……。


レピュブリック広場からのラジオ中継を聴きながら、今書いている。
「Charlie! Charlie!」
「Liberté! Liberté!」
大衆のシュプレヒコールが聞こえてくる。La Marseillaise(フランス国歌)を誰ともなく合唱する。群衆は踊りながら、Je suis Charlie! と歌うように叫んでいる。爆竹のような音も聞こえる。PCブラウザに目をやると、サッカーW杯で優勝したときより多い人出だ、というツイートが流れる。


シャルリエブド社の、犠牲になった編集者たちはみな働き盛りの30代、40代、50代の人々だった。家族があっただろう。親も健在だっただろう。自分の体を扱うのが精一杯の母を見ていると、親より先に死ぬようなことだけは避けよう、と思わずにいられない。テロリストに明確に標的にされて殺される、といった死にかたを自分の息子や娘がするなんて、そんな人生など予定していなかった。遺族は憤り、やり場のない怒りと深い悲しみに覆われていることだろう。事件をきっかけに、国民の連帯が強まり、自由への希求が高まるのは結構なことだが、かけがえのない命を失った者たちの傷は癒えることはない。被害者遺族の言葉にならない悲しみは、いつだって置き去りだ。
17人の犠牲者の遺族、とくに、年老いたかたがたの心の安寧を願って止まない。